梅と谷川俊太郎



先週湯島天神に行ったら、梅が見事に咲き誇っていました。


年始に、今年は「ゆるりほぼ日で更新していきたい」と書いたこともあり、
映画を観るたび、美術館に行くたび、本を読むたびに
これを書き留めよう、こんな風に綴ろうとあれこれ思いを巡らせていたものの
ほとんど更新しないままに2ヶ月が経ってしまいました。

まあ、追い追い。


今日ランチで入ったビストロに、ステキな本がたくさん置いてありまして。
こんな本を見つけました。


谷川俊太郎さんが「ほぼ日刊イトイ新聞」上で読者のみなさんから届いた質問に答えた連載
「谷川俊太郎質問箱」がもとになった書籍です。
谷川さんの回答がとてもいいのです。

じんわりとあたたかい気持ちになったことを覚えておきたいので、ひとつ抜粋。


【読者の方からの質問】
自業自得で苦しいとき、誰にあたることもできず、
言い訳もできず、というとき、
どうやってその苦しさに立ち向かいますか?
しかたがなかったんだとか、相手のせいにしたりとか、
逃げ道はあるのですが、
どうも妥当だとは思えません。

【谷川さんの回答】
苦しいのも生きている味わいの一つだから、
苦しみのグルメになれるといいなあ。
苦みや渋みや指すような辛さに、
かすかな甘みもまじっているその複雑な味を知ると、
喜びの味も深まるからね。
(後略)


「苦しみのグルメ」って、一瞬おどろおどろしい感じがしなくもないですが、
なんとも味わい深そうなそそられる響きではありませんか。

ほかにもぷっと思わす吹き出してしまうような(もっと軽めの)回答もあったりして、おススメです。


梅が咲き始めれば、しばらくはずっと花の季節ですね。
また木枯らしが吹くころまで、日々美しい花を愛でながら過ごせると思うと、外に出るのがたのしみ。
先日新調したiPhone6で、惜しげもなく写真を撮っていこうと思います。






お土産にウクレレとオカリナ


お正月帰省中です。
なんと父が年末にインフルエンザにかかった上に怪我をしたこともあり、例年より遅めに本日から。
もう熱もすっかり下がり、怪我はまあ不便そうですが母のサポートもあり動けているので
ほっとひと安心。


居間でお茶を飲んでいたら、いつもの通り祖母がやって来て
「mayumiちゃんにこのネックレスあげるわ」と。
祖母はとてもおしゃれで昔からネックレスをたくさん持っているのですが、
ここ数年帰省のたびに「わたしはもうしないから」とそのコレクションを譲ってくれようとするのです。
すてきだけどひとつでいいよとお決まりの会話の最中、ふと目に留まったのは
立てかけてあるウクレレ。

現在90歳の祖母は今でもフラダンスを習っているし、ちょっと前まで教えてもいました。
一時期ウクレレも弾いていたのですが、もう弾かないしと
そのウクレレをわたしに譲ってくれることに。

恐れ多くも10代の頃に、コピーバンドでギターをやったこともあったわたし。
(いや本当に、弾いてたとかやってたとか言うのはギターに失礼なレベルなんですがすいません)
久しぶりにいじる弦楽器、た、たのしい。そしてギターよりもだいぶ小ぶりで、弦も痛くない!
なぜだか母が持っていた初心者向けのウクレレ教本と一緒に、
今年は気分転換にウクレレを弾くのもいいかも。

ウクレレをどう持ち帰ろうか考えていた所、なんと今度は祖母がオカリナを出してきました。
大学教員時代の教え子の方が作ってくださった貴重なオカリナのようなのですが、
適当に吹いてみたら最初はてんでダメだったのが段々音階がわかってきて
しまいにはトトロの曲(もどき)も吹けた!これはたのしい!!
なんだろう、息を吐くのってこんなに気持ちよかったっけ?
年甲斐もなくウキウキして吹きまくっていたら、それもあげるわよと祖母。

いつも帰省の際には、母セレクトのたくさんの食糧とお決まりの祖母のジュエリー、
父が家電量販店で見つけてきた小物などを「持って帰りなさい」と袋に詰められるのですが。
今年は図らずもホノカア系とジブリ系楽器を携えて荒川を渡ることとなりました。
幸先よい?待ってろ東京湾。


これまで、(母がピアノ教師だったにも関わらず)ピアノもドラムもギターも
てんでうまくならなかったわたしなのでまあそんなに上手にはならないだろうけれど、
音楽も楽器も好きなので。
今年はもしもクサクサしちゃいそうな時があったら、ポロロンとかピーとかプーとか
部屋で鳴らそうと思います。絶対効果あると思う。だってなんか今日、すごく愉快だったし。

楽器って偉大。



2015.1.1

2015年、明けましておめでとうございます。


昨年は一度もこのブログを更新しませんでした。
2004年に(旧)ブログを始めてから、はじめてのことです。

改めて、わたしには非常によろしくなかったことだと感じております。

わたしはなかなか厄介な性分で、定期的に(と言うよりむしろ呼吸するように)言語化して
アウトプットしていかないと、思考に偏りが出てしまうんですね。
オトナになればきっと治るんだろうと思っていたのですが、どうやら三つ子の魂百まで、だった模様。


と言うことで。2015年の目標は、今更ですが「ブログを書く」ことにしようと思います。


2014年は、FacebookやTwitterに投稿をしたり、手書きの日記なんぞも書いてはいました。
つまりそれなりに発信欲を満たしたりだとか、言語化作業はしてきていました。
けれども、無意識のうちにいいね!を気にした写真投稿や、メモのようにつぶやくこと、
誰の目も気にせず思考を書き殴ることは、ブログに綴ることとはやっぱり違うんですね。

ブログってひとり語りのラジオみたいなもんで、好き勝手なこと言っているようで
最低限の公共性を担保するように意識するものだと思うんです。
そうした意識を持つ中で、物事を俯瞰してみたり、よりよい表現を探ってみたりする作業が
昨年は圧倒的に欠けていたなあと痛感したのです。

まあ、結構な頻度でブログを更新していた10年前だって、よくよく思い出してみると親しい友人に
「mayumiのブログ、センチメンタルジャーニーだよね」とか揶揄されていた訳なんですけども。

自分の思考を整理するために、今日からブログを書いていこうと思います。
そして気まぐれに読んで下さった方がたまに共感してくれたりしたらうれしいですね。


そうそう、今年の手帳は3年ぶり5冊目のほぼ日手帳にしました。
まあ、ほぼ日刊とはいかないでしょうけれども。ゆるりほぼ日な感じで更新できればこれ幸い。


これを読んでくださっているこの画面の前のキトクなあなた、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

EGAKU Workshop

友人のTomokoからその存在をおしえてもらって以来気になっていた、EGAKU Workshopに参加してきました。


正方形の色紙の上に、10色のパステルで絵を描くワークショップ。
各回ごとに決まっているテーマを、約45分から1時間かけてたっぷりと絵に落とし込んでいきます。
ザッツオール、とってもシンプル。

パステルは手でのばしたりぼかしたりできて、消したい時は練消しゴムで消すんですよ。
そう言えばそうだったなと思った知識も、これくらい。


今回のテーマは、『素 -Innocence-』。
わたしの素ってなんだっけ?とじっくり考えてから描き始め
30分以内で考えていた通りの絵ができあがったのですが、、、まあ、美しくないこと。

こんな絵、あとから見たり、部屋に飾ったりしたくない!
そう感じたので急いで描き直し、残りの20分でなんとか仕上げた作品が、コチラ。




以前とある人にわたしを表現してもらった際、「明るい雰囲気」と言われたことがありました。
ああまったく、この人はわたしのことをよくわかっているなあと思ったものです。

明るく前向きでいたいと常に思っているし、実際にそう行動することが多いけれど、
ドロドロと内省したり、暗い部分も同じくらいあること、バレているんだなあと。

わたしの素は、明るく輝いている面ばかりではなく暗くて美しくない部分、ありますよ。
そこもちゃんと描きたいなと考えて、全部の色を使って表現することに。

基本的には常に前進しているけれど、その進み方は螺旋階段を上るようなイメージが近いと感じ、
真ん中にまず大きな螺旋を描きました。
伸びていく螺旋には、光が当たってる部分も、当たらなくて暗い部分もある。

わたしが考えるわたしの素は、こんなイメージ。


それを絵にしたら、こんなんなりましたよ。

わたしをよく知る画面の前の友人の方たち、どうでしょうか?(笑)


今回の、まず自分がテーマから感じることや描きたいイメージを言語化し、絵に描き、
またその絵を言語化する、という体験を経て感じたことがあります。

ことばだけをひねり出して思考するよりも、間に絵を描くプロセスを挟むことによって、
より思考が深まりことばで表現できることに広がりが出るなあ、と。


思考を深めたい時、アイディアに行き詰まった時、お絵かきの効果は大きいようです。


10数人の参加者が描いたものを観て最後に
「多様性を感じられますね~」「みんな違って、みんなイイ!」に着地するんだろうな~という
やや斜に構えた気持ちで参加し、まあ事実その通りだったのですが。
予想以上に、「あれ、画材一緒ですよね?テーマ一緒ですよね?へえ、あなたがこだわったポイントはそこですか!」
という感想を素直に抱くことができて、たくさんの刺激を受けました。


ちょっと期間を置いて、再度参加してみたいです。
その時は、また違った絵になるのかな。

Blog Ground Music

このブログを開設して初めて、ブログパーツを貼ってみました。


右カラムの一番上にある、Blog Ground Musicをクリックしてみてください。

わたしが綴った文章の中から、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの文字を拾って、
五線譜の画像と共に素敵な音色を奏でてくれます。


こちら、インターネットクリエイティブアワードを受賞した作品だそう。


ブログパーツを貼ってみたいと思ったのは、おそらく8年ぶりくらい?
当時はmixi日記も人気だったけれど、
個人ブログで日々のことを発信している友人が今よりもっともっと多かったこともあり、
時折気になるブログパーツが紹介されていて、それらを(旧ブログに)貼っておりました。


最近はブログパーツ自体をあまり見かけない気がしますが。
こういった遊びゴコロのある素敵なサービスを見つけたら、
また色々ためしてみようと思います。

Welcome to TOKYO

ハフポストで紹介されていた、ワールド・オーダーの最新動画【Welcome to TOKYO】がすてき。




2020年に開催が決まった東京オリンピックのメッセージも込められていて、好きな作品。


もう1ヵ月前のことになりますが、7年後のオリンピック、東京に決まりましたね。


わたしは1996年のアトランタオリンピックの時、アメリカのボストン郊外で暮らしておりました。
サマースクールで6週間寮に入っている期間の開催だったので
家族とではなく、各国から集まってきていた生徒たちと、寮やカフェテリアのテレビで
いくつかの試合を観戦した記憶があります。

とは言っても、アメリカはとても国土が広いせいか、ボストンとアトランタが同じ東海岸ながら、
正直あまり身近な印象が持てず。
今回、そう言えばわたし開催国にいたことある!と思い出したレベルの記憶。
当時わたしがたまたまサマースクール中でテレビをあまり観なかったこともありますが。

言葉を選ばずに言うと、911のテロの後に開催されたソルトレイクの冬季五輪の方が、
日本のメディアを通してみる限りアメリカがひとつになっているように感じられました。
(わたしは見事ホームでメダリストとなった、フィギュアスケートのサラ・ヒューズ選手が
 エキシビジョンで星条旗にバラを捧げるような演出を行い、会場全体が湧いていた映像を
 今でもありありと思い出すことができるのです。)

良し悪しは別にして、あの時、アメリカがなにかに向かってひとつになったように感じました。


震災とテロはちょっと異なりますし、色々と複雑な事情もありますが。
7年後にオリンピックの開催地となることで、日本がひとつの目標に向かえることは
単純に明るくてよろこばしいニュースだなと感じています。


7年後、たのしみです。

美瑛に行ってみたい。

行きたい場所が増えました。北海道の美瑛という場所。
こちらの映像で初めて知ったのですが、青い池、とても美しい。




この映像はM2JというFX会社のプロモーション映像のひとつなのですが、
わたしが持っている業界に対するイメージをいい意味で裏切りながら
お金を楽器にしながらハーモニーを奏でることで、コンセプトも伝わってきて。
すてきな映像だなあと思いました。


この美瑛の青い池、昔家族で行った、カナダのロッキーマウンテンにあるレイクルイーズにも似ています。
(おそらくレイクルイーズの方がだいぶ大きいのだと思いますが。)

実は、Macの壁紙にもなった有名な場所なんですね。
NAVERまとめ:日本人写真家の作品がMacの壁紙に採用!美瑛町の青い池が美しすぎる

5年後くらいには開発によってこの池がなくなってしまう、なんて噂もあるみたいなので
それまでに行ってみたいな。

梅と谷川俊太郎